message

採用メッセージ

代表取締役 平松洋一

R4のために働くんじゃない。
自分のために働け。

常日頃から社員に言っている言葉です。私にとって、みんなは家族同然。社員と、その家族まで含めて、関わる全ての人を幸せにするのが夢です。R4という会社は各々が幸せになるために利用すればいい。本気でそう思っています。
「40歳までに社長になる」学生の頃からそう思っていましたが、当時はアメフト部で副主将(兼体育会副会長)。鼻息荒く、タックルを繰り返す日々の私が、夢を語るだけじゃ話になりません。どうすれば実現できるか就職活動を機に知人へ相談し、本を読み漁りました。そうして出た結論が『ヒト・モノ・カネ・情報』。この4つが集まる企業へ焦点をあてて就職活動をすることにしたのです。

都市銀行、大手証券会社、株式会社リクルート、チョット自慢なのですが、各方面から引っ張りダコでした。「デカイ声と生意気っぷりが気に入られただけ」と、周りの連中は言いますが、いや、きっとそんなことはないはず…。

最終的に就職を決めたのはリクルート。「働いているヒトが格好いいぞ」「ここなら社長に近づけそうだ」そう思わせる何かがありました。いわば動物的カンです。それからです、人材ビジネスにのめり込んでいったのは。

負けん気の強さを糧に、
ガムシャラに営業活動をする日々。

数年でトップセールスと言えるほどになりました。転機が訪れたのは入社7年目、広島に赴任していた頃です。当時30歳。「お客様のためならば何だってやる」と、リクルート媒体以外も扱いながら、縦横無尽にサービスを提供していました。その頃の私と言ったら、もうハチャメチャです。(度が過ぎて何度も始末書を書かされましたが…) そんな折、当時、制作クオリティが高いと噂されていた名古屋へ赴任。胸躍らせながら電車を降りたものです。

しかし待っていたのは完全分業化されたシステマティックな業務遂行。唖然としました。私の営業スタイルは、お客様のもとへ足を運んでなんぼ。汗と手垢にまみれる、泥臭い採用手法です。システム化されたら、信念も何もなくなってしまいます。「責任者ダレだぁ!」と上司に楯突いたことも数えきれません。社内では厄介者扱いでしたが、「がんばれ平松」とエールをくれる仲間も。その言葉に幾度も救われ、今の私があると言っても過言ではありません。

40歳も目前になった頃、
ある決断をしました

「人材を軸として、お客様のニーズにしっかり応えられる会社をつくろう」真剣にお客様の立場に立てるサービスであれば、必ず必要とされる。そんな確信が、私にはありました。そのための経験も積んできたつもりです。マネージャー(部長)へ着任した後に新会社へ出向した私は、人事評価制度の構築まで携わることに。機は熟した。組織をつくる準備が整ったのです。「一緒にやらないか?」ときに営業車の中で、ときに居酒屋のカウンターで、同じ志をもつ仲間に声をかけました。それが創業時のメンバーです。そういえば、具体的なことは誰にも話した覚えがない。よくついてきてくれたものです。無鉄砲な私を放っておけなかったのかもしれません。

それから15年以上が経ちました。
ありがたいことです。

いまは100年つづく企業を目指して歩みだしたところ。お客様の数は日を追って増え続けています。期待の表れだと思うと、背筋が伸びる思いです。誠実で、頼もしい仲間も増えました。義理堅く、誠実な会社だと、自信を持って言えます。わたし平松洋一、お客様と仲間をぜっっっったいに裏切らないと誓います。あなたは、R4という会社で何を成しますか。